10月の海辺にて (4'30")
                           − バラード −


  
 
 制作期間 … 2004年10月28日〜2005年3月2日

<創作〜作曲の動機>
 僕にとっては、途中で投げ出さずに最後まで独力で書き上げた初めての曲でした。それまでいつも途中で投げ出してばかりだったので、ある程度気合いと覚悟を持って挑んだ何度目かの曲作りでした。
 まずAメロ作って、次に作曲のノウハウ本片手に4、5日かけて、Aメロとちゃんとつながるように…と気にしいしいBメロ作って。…ところがそこまで。
 サビがどうしても出てこない。もがき苦しんだ挙げ句、結局うちひしがれて放置。でもその後もなんとかしたい、という思いだけは持ち続けていました。ここで投げ出したら、もう一生曲なんて書けないような気がして。
 サビが思いがけず出来た時は本当にビックリしました。Bメロを作った日やその翌日といった、やる気に燃えていた時期は2時間ぐらい粘っても全然うまくいかず、それこそマンガに出てくる古典的な作曲家みたいにメモ用紙を何枚もくしゃくしゃにするような感覚で何度も録音しなおしてたのに、何日か放っておいた後のある日、近くの小さな山にプチ登山した後なにげなくピアノに向かったら、5分か10分の間にあっけなく形になったのが、サビの部分です。
 ここをクリアしたら、たとえばピアノソロのバックはこういうふうにストンと落としたリズムにしよう、とか、いろんなアイデアが自分の中から何の苦労もなく次々出てきて、その日1日で、イントロのフレーズ,曲後半の展開,2回目のAメロのアレンジをどういう音にするか…など、あれよあれよという間に一気に決まってしまって信じられませんでした。当初、あんなに必死に何時間も粘って考えて出てこなかったのに。
 …思うに、プチ登山の前後に自分の中で、曲作りへの努力が「量から質への転換」をしたのではないか、と最近思ったりしています。
 とにかくそれまでの人生では味わうことのなかった、不思議な体験でした。その後も時々こういう経験をすることがあります。
 タイトルは完全に後付けです。ある程度形になった曲を聴き返した時、頭の中に浮かんだ情景を言葉にしたら、こうなりました。



<制作の日々から学んだこと>
 この曲が僕にとっての記念すべき(本格的な)第1号作品です。
 この曲以前にも曲の断片のようなものはいくつか(スケッチ的に)書いていたのですが、なんとなくのフィーリングでやっていたため、曲の構成がAメロ・Bメロ・サビ、というような展開を持っていて、だから1曲書くには最低2つないしは3つのメロディーを作ってやらないといけないんだ…という、そんな当たり前の概念・意識すら持ち合わせていなかったのです。

 そのため、
Aメロが完結すると次にどう続けて良いのかわからず戸惑ってばかり。結局放り出したり、あるいはバンド仲間に続きを作ってもらってなんとか形にしてもらったりばかりでした。自分は作曲になど縁のない人間なのかな、ともずっと思っていました。それまでさんざんバンドでいろんな音楽をコピーしてきていたのに、そうした「時間的構成」への意識すら培われていなかった自分がつくづく情けないんですけど、いかに狭い目でしか音楽をとらえてなかったかが、自分で曲を作り始めて痛感されました。僕はボケーッとイメージでものをとらえる右脳人間であることを、作曲始めてから改めて再認識しましたね。昔からいろんな音楽を聴くのは好きだったんですが、どのフレーズ(あるいはメロディー)を何回繰り返して…という、いわば数学的・論理的なとらえ方で聴くことが、バンドのコピー曲ですら稀でしたから。いつも曲のイメージ世界に遊びに行って「なんとなく」で聴いてしまうんですよね、僕は。
 最近読んだ本に「数学と音楽が特に縁の深いというのも一般にいわれていることである」というくだりがあったんですが、なんとなくわかる気がしまして。

 作曲始めた時、いや始める以前から曲の時間的展開のさせ方ということをとらえるのが苦手で、
今でも曲制作で一番悩むのはこの部分だったりします。


  

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